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市井の荒波にもられるアラサーが、無駄に本心をさらけ出します

今回予告:次回に続く

 書こう書こうと思いつつ、不意に飲み会が入ってしまったり、渋谷でヘルタースケルターを見たら打ちのめされてしまったり、
直しにのび太の結婚前夜を見返したらツボにはまって大泣きしてしまったり、とにかく諸般の事情でようやく「書く」と言った明日になりました。これ以上延ばしたら書く書く詐欺です。
それにしてもヘルタースケルター、予想以上にぶっ飛んでた。アートの皮被ったAVです。でも流石に使用には堪えません。キャタピラーはまだいけたのに

 さて、いじめです。昨今ニュースを騒がせるトピックではありますが、書き始める前に1つ。以下の文章は、一般的な「いじめ」に対する私見です。今現在絶賛進行中の「いじめ」案件を議論するつもりはありません。「いじめに対して、社会は●●すべき」などと能書き垂れるなどともってのほかです。どちらかというと「いじめに対して、僕がどう対処したか」っつーことを書いています。

 まず最初に言っておきたいこと。それは「どれだけ対策案を練ろうと、社会が努力しようとも『いじめ』は無くならない」ってこと。
 学校にしろ会社にしろ人間が集まると、何らかの権威を持った「リーダー」が生まれます。ここでいう権威ってのは「自分のワガママを通す力」とでも言いましょうか。ガキ大将みたく腕力で周囲をねじ伏せて、「おれに逆らうやつは死けい」だったり。あるいは親が地元の有力者で、「何かあったらパパに言いつけるぞ」だったり。根拠は千差万別あれど、「権威」を持った人間がリーダーとして集団を率いていくことになります。
 これ自体は別に悪いことじゃありません。むしろ集団として機能するためには、リーダーが不可欠です。リーダーがいない集団は、集団としてまとまることができません。
 リーダーに求められることは、「私はこう思う」という主張・オピニオンをはっきり出すことです。リーダーの主張は、集団全体の指針になります。リーダーの主張がはっきりしていれば周りの人間は、に自分たちも行動できます。逆にヘタに考慮してリーダーが主張を出せないと、周りの人間だってどうしようもありません。
 例えば文化祭の出し物を決めるクラス会議。全員で集まって議論していても、いつまでたってもアイディアはまとまりません。「屋台やりたい」「お化け屋敷やりたい」「文化祭だから研究発表を」色々な意見が出ては決まらず。リーダーがいなければ、結局ダラダラだべっているだけで、会議の時間がズルズル伸びるだけです。
 ところが、もしその場に誰もが認めるリーダーがいて、「あー、わかった、じゃあこれでどう?」と発言したらどうなるか。みんなが信頼するリーダーの言うことです。「あー、うん、いいかも」「おもしろそー」「○○くんが言うなら」etcetc……。もちろんリーダーの意見に反対する人もいます。「えー、その案どうよ? 無理じゃね」賛成している人でも、イマイチ納得しきれない人だって確実にいます。「賛成はするけど、ちょっとなぁ」けれど、他ならぬリーダーの発言です。飲み込まざるを得ません。「アイツが言うならしょうがない」あとは詳細を詰めるだけです。このように集団生活を送るうえでリーダーがいると、大変物事がスムーズに運びます。学校に限らず社会でもそうですね。カリスマ指導者とか経営者とか、強力なリーダーが存在すれば、組織自体も頑強になります。
 リーダーは、自分のリーダーシップを定期的に見せつける必要があります。上記の例みたいに、議論の方向性を決めたり。あるいは、リーダーの言うことに従わないとどうなるか、この辺がいじめにつながってくるんだろうけれど、まとまらないのでまた明日。