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市井の荒波にもられるアラサーが、無駄に本心をさらけ出します

久しぶりに更新しようと思ったけれど、ネタが無い。仕方がないからなんとなく思いついたことを書いてみた。

 「哲学的リア充」なる言葉が頭から離れない

哲学的ゾンビが仮に存在するとして、それはどのように見えるだろうか?哲学的ゾンビとどれだけ長年付き添っても、普通の人間と区別することは誰にも出来ない。普通の人間と全く同じように、笑いもするし、怒りもするし、熱心に哲学の議論をしさえする。物理的化学的電気的反応としては、普通の人間とまったく同じであり区別できない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E7%9A%84%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93

 たとえどんなに努力して、リア充を目指したところで、所詮は模倣に過ぎず。どれだけ外面を取り繕うとも、中身が伴わない。いわば、哲学的ゾンビの亜種に過ぎない。
 「哲学的リア充」という概念があると仮定した場合、「リア充になろう」という試みは、押しなべて破綻する。どれほど努力しようとも、非リアは非リアでしかなく、オシャレしたところでコミュ力磨いたところで、リア充ぶってる非リアでしかない。