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市井の荒波にもられるアラサーが、無駄に本心をさらけ出します

Dolphin Songとか大好きですが

 イジメの話は色々と重くて連投できず、別の話。と思っていたら、偶然こんなエントリを見つけてしまったので。

ミュージシャンのコーネリアスこと、小山田圭吾ですけど。
雑誌のインタービューによりますと、彼は、和光大学付属の小・中・高校時代に、いじめる側の生徒だったようです。

http://d.hatena.ne.jp/denpatiro/20061115/p1

といって、これについて語る元気はないという。

本日のレビュー「酒について」

酒について (講談社文庫)

酒について (講談社文庫)


 イギリス人らしい辛辣なユーモアを交えながら、お酒に関するあれやこれやを論じたエッセイ。原文もさることながら、随所に挿入された吉行淳之介のメモが面白い(翻訳も担当してます)
 「自分が二日酔いだと気付いた時は、もはや二日酔いではない」 至言です。

中々根深い問題だと実感

 昨日のエントリに対して、「イジメは多階層的である」という意見を頂戴しました。つまり、イジメは、単純に「いじめっ子(強者)と、いじめられっ子( 弱者)」で完結しない。いじめられっ子(弱者)は、彼らの中でさらにまた「強者」と「弱者」に分かれて、イジメが発生していく、と。実に怖いことです。
 考えて見りゃ、いじめられっ子だって、ただ黙っていじめられているだけのはずはなく。何らかの形で、受けたストレスを解消しなきゃ、それこそ自殺しかねません。
 どう対処するかってのは人それぞれですが、概して以下の5つに分類できるんじゃないかなと。
 ・たたかう :いじめた相手にやりかえす
 ・耐える  :じっと黙って過ぎるのを待つ
 ・特技を持つ:みんなに一目置かれる特技を持って、いじめから逃れる
 ・八つ当たり:自分より弱い奴をいじめる
 ・逃げる  :いじめっ子がいる場所に近寄らない
 今日はこれ以上まとまらないので、また今度。

本日のレビュー「のび太の結婚前夜」


 いや、久しぶりに見返したら大泣きした。大の大人が、マジで。

需要と供給の不幸なマッチング

 いじめられっ子とは、集団の結束力を高めるために集団内部から選出された「共通の敵」です。彼を攻撃する(いじめる)ことで、結束を深めることができます。
 いじめられっ子に選ばれる基準は、概して「いじめても問題にならないこと」です。例えば、文句言われても言い返せない、比較的大人しいタイプ。これはいくら攻撃しても反撃してこないから、(相手が壊れるまで)存分にいじめることができる。
 基本的にいじめられっ子は、いじめたときのリスクが低い人間です。ちょっとぐらいいじめても、黙っているから問題無い。逆に、イジメに対して反撃する奴はいじめられません。ヘタにいじめると、猛烈な反撃を食らうから。ぶんなぐられたり、先生に言いつけられたり。
 タチの悪いことに、いじめられっ子ってのは、集団を運営していく以上必要不可欠な存在です。だって、いじめられっ子をいじることで、みんなの結束力が高まるんですから。ただなんとなく苛めている連中よりも、よっぽど価値ある存在です。すっごい皮肉なことにいじめっ子は、「イジメ」というネガティブな行為を通じて、いじめられっ子にレゾンテートルを与えています。「俺たちお前を大切に思うから、こうやってかまってる(いじめてる)んだよ」って。逆にいじめられっ子のほうも薄々理解しています。イジメを通じて、自分の居場所が与えられることに。耐えてさえいれば、集団に所属し続けることができます。例えいじめられて嫌な思いをしたとしても、周りからシカトされて孤立するよりマシです。いじめを苦に自殺するのも、大人しすぎてイジメに甘んじてしまい、限界を超えてしまったんだろう、と勝手に思ったりします。
 「共通の敵を見つけて、より結束力を高めたい集団」と「多少ダメージ被ってもいいから、集団に所属したい大人しい子」。ある意味win-winな関係です。片方は攻撃する相手を求めていて、もう片方は、攻撃だろうがなんだろうが、自分を求めてくれる集団を求めている。かくして両者が出会ったとき、いじめの萌芽が生まれることとなります。以下次回以降。

今回予告:次回に続く

 書こう書こうと思いつつ、不意に飲み会が入ってしまったり、渋谷でヘルタースケルターを見たら打ちのめされてしまったり、
直しにのび太の結婚前夜を見返したらツボにはまって大泣きしてしまったり、とにかく諸般の事情でようやく「書く」と言った明日になりました。これ以上延ばしたら書く書く詐欺です。
それにしてもヘルタースケルター、予想以上にぶっ飛んでた。アートの皮被ったAVです。でも流石に使用には堪えません。キャタピラーはまだいけたのに

 さて、いじめです。昨今ニュースを騒がせるトピックではありますが、書き始める前に1つ。以下の文章は、一般的な「いじめ」に対する私見です。今現在絶賛進行中の「いじめ」案件を議論するつもりはありません。「いじめに対して、社会は●●すべき」などと能書き垂れるなどともってのほかです。どちらかというと「いじめに対して、僕がどう対処したか」っつーことを書いています。

 まず最初に言っておきたいこと。それは「どれだけ対策案を練ろうと、社会が努力しようとも『いじめ』は無くならない」ってこと。
 学校にしろ会社にしろ人間が集まると、何らかの権威を持った「リーダー」が生まれます。ここでいう権威ってのは「自分のワガママを通す力」とでも言いましょうか。ガキ大将みたく腕力で周囲をねじ伏せて、「おれに逆らうやつは死けい」だったり。あるいは親が地元の有力者で、「何かあったらパパに言いつけるぞ」だったり。根拠は千差万別あれど、「権威」を持った人間がリーダーとして集団を率いていくことになります。
 これ自体は別に悪いことじゃありません。むしろ集団として機能するためには、リーダーが不可欠です。リーダーがいない集団は、集団としてまとまることができません。
 リーダーに求められることは、「私はこう思う」という主張・オピニオンをはっきり出すことです。リーダーの主張は、集団全体の指針になります。リーダーの主張がはっきりしていれば周りの人間は、に自分たちも行動できます。逆にヘタに考慮してリーダーが主張を出せないと、周りの人間だってどうしようもありません。
 例えば文化祭の出し物を決めるクラス会議。全員で集まって議論していても、いつまでたってもアイディアはまとまりません。「屋台やりたい」「お化け屋敷やりたい」「文化祭だから研究発表を」色々な意見が出ては決まらず。リーダーがいなければ、結局ダラダラだべっているだけで、会議の時間がズルズル伸びるだけです。
 ところが、もしその場に誰もが認めるリーダーがいて、「あー、わかった、じゃあこれでどう?」と発言したらどうなるか。みんなが信頼するリーダーの言うことです。「あー、うん、いいかも」「おもしろそー」「○○くんが言うなら」etcetc……。もちろんリーダーの意見に反対する人もいます。「えー、その案どうよ? 無理じゃね」賛成している人でも、イマイチ納得しきれない人だって確実にいます。「賛成はするけど、ちょっとなぁ」けれど、他ならぬリーダーの発言です。飲み込まざるを得ません。「アイツが言うならしょうがない」あとは詳細を詰めるだけです。このように集団生活を送るうえでリーダーがいると、大変物事がスムーズに運びます。学校に限らず社会でもそうですね。カリスマ指導者とか経営者とか、強力なリーダーが存在すれば、組織自体も頑強になります。
 リーダーは、自分のリーダーシップを定期的に見せつける必要があります。上記の例みたいに、議論の方向性を決めたり。あるいは、リーダーの言うことに従わないとどうなるか、この辺がいじめにつながってくるんだろうけれど、まとまらないのでまた明日。

次回予告

 最近、何かといじめの話を見かける。いじめられっこ経験を通じてドMに至った僕としては、一筆書かずにはいられない。のはいいけれど、おいそれと書けるテーマでもないので、明日書く。

本日のレビュー「ドラえもん のび太と銀河超特急」

映画ドラえもん のび太と銀河超特急 [DVD]

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 一番好きな大長編と言ったら、これか創世日記だよなぁ。とにかくのび太がカッコいい。それに尽きます。西部の星にしろクライマックスにしろ、大好きです。あと、地味に活躍するジャイアン。巻物がこう役立つのか、初回見たときは涙出ました。
 あと、音楽もいい。シャドウ団が襲うシーンのメンデルスゾーンとか。