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市井の荒波にもられるアラサーが、無駄に本心をさらけ出します

イグアナの息子。

萩尾望都の作品に「イグアナの娘」という短編があります。

青島ゆりこの目には長女・リカの姿がなぜかみにくいイグアナに見えてしまい、どうしても愛することができずにいた。次女・マミは普通のかわいい人間の赤ちゃんに見え、そのため、ゆりこはマミを偏愛し、リカにはますます冷たく接する。 一方、リカ自身も鏡に映る自分の姿がイグアナに見え、自分がみにくいイグアナだから母親にも愛されないし、恋愛もできない、幸せになれないと思い込むようになる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%81%AE%E5%A8%98

つまるところ「自分は人間とは全く異なる生物である。他の人と同じことをすることは許されない」と思っていた主人公の話です。改めて読み返し、「あ、これ僕じゃん」と思ってしまったわけで。

僕は、小さいころから「自分は、他人と関わっちゃいけない。他人と同じことをしてはいけない」という強迫概念じみたものを抱いていました。劣等感とは違います。というより、劣等感を覚える資格すらないと思っていました。だってそうでしょう。イグアナと人間は全然違います。イグアナが人間に劣等感を感じるなんてありえません。人間にライバル意識を燃やしたって、単に笑われるだけです。

この大きな原因には、「自分が太っていた」ということは多分にあるだろうと思います。「自分がデブである」という意識を持つことで、僕は確実に自分が「人間じゃない。デブのイグアナである」と区別するようになりました。実際は、言うほど周りは区別していなかったと、今となっては思いますが。とにかく、この「人間」と「デブのイグアナ」を分ける壁ってのは、自分の中につい最近まで存在していました。少なくとも、大学を卒業するまでは確実にありました。大学入って体重落としてからも、やっぱり「自分はイグアナである」という壁は残り続けます。

イグアナの例で思い出すのが、こういった日常会話。高校生ぐらいになると、「好きなグラビアアイドルは誰?」なんて話で盛り上がります。けれど、僕はその輪の中に入れません。僕だって一応男子高校生です。好きなアイドルぐらいはいます。ただ、「なにイグアナが人間様好きになってんだよwwww」と言われるのが怖くて、周りに話すことができませんでした。

あとは、他人とのコミュニケーション。向こうは普通に話しかけてくるのかもしれない。けれど、自分としては「あんなに良い奴が、イグアナと話したばっかりに『やーい、お前イグアナと同じレベルなんだwwww』とからかわれるかもしれない」と思ってしまう。だから、他人とコミュニケーションをとれずに、壁を作ってしまう。今だから言えますが、高校時代の部活の友人を除いて、(年上年下に限らず)他人と話すときはいつもこの壁を感じていました。ただし、酔っ払っているとき以外は。ベロベロになってしまえば、人間もイグアナも関係なくなってしまいます。なんで飲み会では、とりあえず飲んで酔っ払ってました。

多少弱まりはしたものの、今でもやっぱり自分の中には「イグアナのくせに」という思いはあります。「イグアナの娘」では、主人公がどうしてイグアナになってしまったのか、(たとえ非現実的な理由とはいえ)自分なりに納得しています。けれど、僕はまだその理由を見つけていません。というか、その理由を見つけるためにブログを書いているわけで。

何が言いたいかというと、今になってようやく、「きゃりーぱみゅぱみゅがいかに可愛いか」力説できるようになりました。
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本日のレビュー「ねじれた家」 著:アガサ・クリスティ

機会があればプロデューサーやってアニメ化しようと、虎視眈々と狙っています。作者いわく、自身の最高傑作。が、そんなことはどうでもいい。とにかくヒロインのジョセフィン(異論は認める)が可愛い。顔は若干……だけど、ちょっとおませさんなところとか。主人公に探偵気取ってみたりとか。いやもう本当に、「大好きなお兄ちゃんに対して、一生懸命大人ぶる妹タイプ」が好きな人は、ぜひ読んだほうがいいと思うよ。