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市井の荒波にもられるアラサーが、無駄に本心をさらけ出します

もしかしたらと思ったけれど、やっぱり自分はオタクだったこと

はたして、高校時代の自分はオタクだったのでしょうか? のっけから悩んでみます。いや状況証拠だったらたくさんありますよ。1年の冬から、欠かさずコミケに行ってたし。部誌と称してコピー誌に原稿書いたし。基本週末はTRPG漬けだったし。
にも関わらず僕は、今まで「自分がオタクだった」という自覚が全くありませんでした。オタク趣味には手を出すけれど、熱中していないんです。ウィキの「オタク」項目では、以下のように解説しています。

辞書的には、ある趣味・事物には深い関心を持つ(拘る)が、それ以外の広汎な知識、また社会性・社交性は欠けている人物として説明される

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%8F

ゲームや漫画は見ていましたが、特定の作品に我を忘れてのめりこんだことはありません。確かに、鍵とかむっさハマりました。ハマりすぎて、モデルになった場所に行ったり、ドラマCDから音拾って目覚ましつくりましたよ、えぇ。ただ僕はあくまでも「フィクション」としてのめりこんでいただけです、モロ言い訳だけど。あまりにのめりこみすぎて現実生活に支障をきたしてしまうなんてことは、ありませんでした。熱中しすぎて単位落としたりとか、学校休んだりとか。そういう意味で僕は、自分のオタク趣味を満喫していたものの、そのせいで実生活に影響が出る、なんてことはありませんでした。

とは言うものの、実際はオタクだったのかもしれない。自分の中の「オタク」に対する認定基準が厳しすぎたから、自分をオタだと認められなかった可能性もある。周りが相当濃いのばっかだったから、それに比べたら自分は、みたいな。具体的にだれがどう濃かったかを書いてしまうと、色々と支障がありそうなんで書きません。ヘタレです。そんなわけで、「果たして自分はオタクだったのだろうか」と自問自答すること早数日。今朝方ようやく結論が出ました。「やっぱ自分はオタクだわ」と。これについてはまた今度。

本日のレビュー「武道秘伝書」

武道秘伝書 (現代人の古典シリーズ 5)

武道秘伝書 (現代人の古典シリーズ 5)


武道書です。しかも古典です。ぶっちゃけパッと見読みづらい。だけど、逐一現代語訳と解説が入っているから、それほど難しくはない。複数の武道書をまとめたアンソロジー形式で、色々楽しめます。中でも僕が一番好きなのは、沢庵和尚の「不動智神妙録」。バガボンドにも出てくる有名人です。

然らば則ち心を何処に置くべきぞ。我答へて曰く、何処にも置かねば、我心一ぱひに行きわたりて、全體に延びひろごりてある程に、手の入る時は手の用を叶へ、足の入る時は足の用を叶へ、目の入る時は目の用を叶へ、其入る所々に行きわたりてある程に、其入る所々の用を叶ふるなり。

実践できればと思うけれど、実に難しい。