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市井の荒波にもられるアラサーが、無駄に本心をさらけ出します

本当は昨日更新するつもりが、思わぬ寝落ち

ざっくり言うと、高校時代(というか数年前までずっと)の僕は、他人とコミュニケートする手段を知りませんでした。確かに、仲のいい友人とかはいます。彼らとは「オタ趣味」とか「空手」とか、ある程度自分と趣味嗜好が似通っていたから仲良くなれたのであり、それ以外の友人っツーのは皆無に等しい。

まず前提。自分はこれまで人間関係について、「世の中には『敵』でも『味方』でもない、『無関心』な人間がいる」ことを理解していませんでした。世の中の人間は、「敵」か「味方」のどちらかです。基本的に家族や友人は「味方」、それ以外はみんな「敵」、知り合いか否かにかかわらず。街ですれ違うおっさんも、電車に座っている女子高生も、基本的にみんな「敵」。打ち解けようなんて発想は、まず出てきません。

そんな風に身構えているから、他人と仲良くしよう、交友関係増やそうって発想がまず出てこない。そもそも、趣味の話以外に、他人とコミュニケートする手段がない。日常会話? 何それ? どうして敵と仲良くしなくちゃいかんの? どうしてもしなくちゃいけない限り、ろくろくクラスメートにすら話しかけられない始末です。

今は、世の中っツーのは敵味方で割り切れるほど単純じゃないってわかります。自分に興味を持っていないor大して意識していない「無関心の」第三者ってのがいて、むしろ世の中の大半がソレです。基本的には僕のことはどうだっていい。そりゃ好意を抱くわけないけど、かといって悪意を抱いているわけでもないあくまでも「無関心」な第三者です。案外、話しかけてみれば気が合って「味方」になるかもしれない。

「趣味以外で他人と仲良くなれない」つまり他人とコミュニケートする手段に乏しいという意味で、自分はオタクだったんだろうと思います。ろくろく日常会話ができず、結局趣味嗜好の話をしてしまう。むしろ、趣味以外に他人と交流する手段を知らないから、ますます趣味に没頭してしまう。オタ趣味にのめりこむというよりも、他人と交流したいからオタ趣味にすがりついてしまう。

「自分がどうして世の中を『敵』と『味方』に分けるに至ったか」については、まとまってません。ダラダラ考えていきます。

本日のレビュー「獅子の門」

獅子の門 (群狼編) (カッパ・ノベルス)

獅子の門 (群狼編) (カッパ・ノベルス)


夢枕獏は「空手道ビジネスマンクラス練馬支部」とか「瑠璃の方船」とか、いろいろ好きです。中でも一番を挙げろと言われたら、これかなぁと。それぞれ複雑な事情を抱えた6人の少年が格闘技の道を歩んでいく、そういう話。で、その中でも芥菊千代。こいつが大好きです。頭が悪い、運動音痴、顔はキモい、オマケにコミュ障のいじめられっこ。一度はリア充になりかけるもNTR.そういったドロドロを抱えつつ、むしろ抱えているから真剣に格闘技に打ち込み、昇華させていく。大好きです。