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市井の荒波にもられるアラサーが、無駄に本心をさらけ出します

そうは言ってもやっぱりモテたい

モチベーションを高めることには多いに賛成だけれども、ベンチャーやってる人間がそんなアホばかりだと思われたら心底困るだろうし、
百歩譲って「女にもてたい」とは思っても「もっと目立ちたい、有名になりたい」とはいま(30超えて)全く思わんな。
むしろそういう男の下世話な欲望から解放される唯一のことがクリエーターとして作業に没頭することだったりするもんだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20120529065559

 「空手」という技能(アート)に向き合ってきた人間として実感しますが、他人の目を気にしていると続きません。むしろ、「頑張っている自分かっこいい」とか「今自分が出した技素晴らしい」とか、(良くも悪くも)自分しか見ていない人間のほうが、成功するってのは事実だと思います。ただし、別にクリエーターだからって、「下世話な欲望から解放される」ほど高尚じゃなくてもいいよね、という話。
 有名になりたい、女にモテたい、そういうのがモチベーションでも、真剣に取り組むんだったらそれでいいんじゃないかと。そもそもモチベーション一つとってみても、人間そう簡単に割り切れるものじゃないし。口では「女にモテたい」と言っていても、その実「どうやったらモテるアートを想像できるか」驚くほど真剣に考えているかもしれません。大事なのは動機ではなくて、各人が対象に向き合う態度じゃないか、と思います。
 それに、世俗にまみれていようと高尚な意識を持った芸術家でいようと、結果がすべてです。空手なんてルールで勝敗決まるから楽ですが、クリエーターはもっと大変です。こちらがどれだけ精魂込めようとも、高尚な志を持とうとも、顧客とか大衆は無慈悲に批評します。良いモンは気に入るし、悪いモンは容赦なく切り捨てます。残酷なまでにクリエーターの思いなんざ組み入れません。目的はどうあれ自分が満足できる作品ができれば満たされるし、それが社会的に評価されたらもっとうれしいです。
 そもそも「有名になりたい」とか「お金設けて、もてたい」とか、もっと公言してもいいんじゃないかと思います。いや、自分自身「空手家たるもの『モテたいから空手やる』とか言ってちゃダメ!!」とか、つい先日まで思っていました。だけど、「gorioshiさん、空手やっててカッコいいですね~」とか、チヤホヤされたいです。それはどうしようもない。いくら否定したって「空手でモテたい」という思いは残ります。いくら否定したって、そう願っている自分がいるのは事実です。それに、否定するのって案外エネルギー使います。空手に使いたいエネルギーを、役にも立たない否定に費やすのはもったいない。だったら、いっそ「モテたい自分」を受け入れちゃったほうが楽です。
別に「モテたい」とか「有名になりたい」と公言したからって、実際にそうある必要はないんじゃないかと。有言実行とは言うものの、言ったことを実現できなくても責める人はいないし。むしろ、「クリエーターたる者、創作活動に没頭すべし」っていう固定観念こそ、よろしくないなぁと思う次第です(増田がそう思っているかはさておき)

本日のレビュー「月と6ペンス」

月と六ペンス (岩波文庫)

月と六ペンス (岩波文庫)


非凡な才能を持ったクリエーターと、その周りで振り回される人々を描いた話。これ読んで、「人間って、そう簡単に割り切れないよね」とつくづく実感させられました。