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市井の荒波にもられるアラサーが、無駄に本心をさらけ出します

やっぱ話せてなんぼ

 「話す」と「聞く」。コミュニケーションを成り立たせるには、どっちも大事だよね、って話。
 世間的には、「聞く > 話す」みたいな風潮があります。格言やことわざ探したって「沈黙は金」みたいに、とかく「聞く」ことを尊重しがちです。どうでもいいですが「沈黙は金」って、カーライルの「衣服哲学」が初出なんですね。意外なところで意外な本に出会ってちょっとびっくり。僕の中二病マインドをくすぐりまくってくれた、ナイスな書籍です。
 閑話休題。確かに「聞く」ってのは大切だと思います。結局のところ人間って、「俺が俺が」って自分から「話す」のが大好きです。僕だってともすれば自分ばかり話して終わり、なんてこともあります。だからこそ意識して「聞く」よう心がけなくちゃいけない。それに「聞く」というのは武器になります。多かれ少なかれ、人間は「話す相手」を求めてます。自分の話を聞いてくれそうな「聞き役」が見つかれば、色々と面白い事を話してくれる。
 それに、「話す」ことには常にリスクが伴います。ヘタなことを言ってしまったことで後々困る、なんて経験は多かれ少なかれ誰でもあるんじゃないかと。不用意な発言で失脚した政治家の例なんて、古今東西枚挙につきません。などと言って、真っ先に思いついた発言が「俺はビッグ」だったりするのが少し悲しい。あるいは、自分の不用意な発言が、誰かを傷つけてしまうかもしれない。こちらとしては冗談のつもりで軽く話したことが、他の誰かからしてみるとトラウマを抉るような言葉だったりするかもしれない。あるいは又聞きの繰り返しで、自分の発言が思いっきり(それこそ180度どころか540度ぐらい)曲解されるかもしれない。思ってもいなかったような誤解を受けて、各方面に誤っても許されず、とかね。
 黙って聞いていれば、相手は満足してくれる。「いや、そうは言っても」と反論しないから、話の腰を折ることはない。「あの人あんなこと言ってましたよー」なんて後から陰口叩かれることもない(それでも叩かれる人は叩かれますが)黙っていてもニコニコ笑っていれば、「善い人」という評価はもらえます。リスク回避という観点からすると、「聞き役に徹する」ってのはコミュニケーションにおいて非常に強力な戦術です。
 僕自身も、そう思っていました。だからこそ、聞き役に回るよう常日頃から意識しています。実施できているかはさておき。っていうか、不用意な発言で多方面に頭下げまくっている記憶がありまくりなんですが。そうはいっても、とりあえず意識だけはしています。
 けれど、実際はそうじゃない。確かに「聞く」は大事です。けれど、同じぐらい「話す」も大事なんです。むしろ「話す」があるからこそ「聞く」を活かすことができる。ツンデレだって、ツンがあるからデレが活きるし。下剋上ものだって、最初に上が威張るから、のちの下剋上で萌える。どう重要かは明日。

本日のレビュー「ひみつの犬神コココちゃん」

ひみつの犬神コココちゃん (TENMA COMICS)

ひみつの犬神コココちゃん (TENMA COMICS)


掘骨砕三、大好きです。若干人を選ぶかもですが(そもそもエロ漫画だし)、ハマる人はどっぷりハマります。絵は上手だし話は面白いし。基本的に登場人物が善人、ってのも読んでて安心できます。残念ながら、エロ漫画としての実用性はありません、いや僕にとってですが。もしかしたら実用している人もいるかもしれないです、はい。

掘骨砕三先生の下水街シリーズは、
「独特な世界設定の中。そこで生きている人々の生活を綴る物語」です。

http://d.hatena.ne.jp/karimikarimi/20081025/1224921174

掘骨先生の魅力は、このサイト読んでもらえばわかるかと。
んで、掘骨先生の作品で一番好きなのがコレ。とにかく切ない。

「話す」ことはリスクが多い。不要な発言で、誰かを傷つけてしまうかもしれない。
自分の墓穴を掘るかもしれない。ヘタな発言こいて失脚した政治家なんて腐るほどいる。
だから、そういったリスクを回避する手段として「聞く」に徹する、というのはアリだと思う。