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市井の荒波にもられるアラサーが、無駄に本心をさらけ出します

怖さに向き合うこと

金環日食です。メガネ買ってませんでした。思いっきし目を細めて、裸眼でチラ見しました。今のところ、涙が止まらなくなったり、視界がおかしくなったり、なんてことはありません。

さて、昨日の続き。空手やろうがシステマやろうが、怖いモンは怖いです。たとえこの先ジークンドー身に着けようともブラジリアン柔術身に着けようとも、やっぱり怖いモンは怖いんだろうと思います。むしろ、やればやるほど余計なことを考えるようになってしまって、ますます怖くなっていくんじゃ、という気すらします。武道ノイローゼってやつですね。ただし、昔と今では大きく変わったことがあります、怖いなら怖いなりに、「怖さにどう向き合っていくか。」
1点目。怖いのは相変わらずにしろ、「何が怖いのか」がわかるようになりました。以前は怖いと思った瞬間、頭の中が「怖い怖い怖い怖い怖い」で埋め尽くされていました。つまりパニック状態です。冷静さなんて光速の彼方。だけど、今は少しましになりました。怖いと感じるのは相変わらずですが、「どうして怖いの?」と自問する余裕ができました。今でも、近所のコンビニでヤンキーに遭遇した時に「怖い」と感じるのは相変わらずです。ただし、その時に「たまたま目があっちゃって、絡まれたら怖いな」と。怖さを感じる対象がわかっているから、「じゃあ目を合わさないよう、近寄らない」と対処できています。
2点目。「怖いと感じてしまう自分」を受け入れられるようになりました。以前は(特に太っていたころ)は、「ヤンキーなんかを怖いと感じることは、つまり連中に屈したことになる」なんて妙なプライドがありました。本当は怖いのに、それを認められない。だから妙な意地を張ってしまう。そういう「負けたくない」という妙な意地のせいで、周囲ともめたことも少なからずあります。けれど今はそうじゃない。相変わらず怖いモンは怖い。かと言って、「負けない」と言って目をそらしていても事態は解決しない。コンビニにヤンキーがいるなら、近寄らなければいい。以前は「ヤンキーのために、自分を曲げるなんて! 」と敗北感を感じていたことも、実践できます。
怖いという事実に目をそらしたばっかりに、何もできずに後悔するってのが一番いけない。怖いならば怖いなりに、どうにかしなくちゃいけない。怖いならば怖いなりに、なんとかしようと思うようになりました。結果が伴ってるの、ってのは別の話。

本日のレビュー「ブルー・ロージス」

ブルー・ロージス―自選作品集 (文春文庫―ビジュアル版)

ブルー・ロージス―自選作品集 (文春文庫―ビジュアル版)


山岸涼子、大好きです。「夜叉御前」とか「天人唐草」とか、ほんっと大好きな作品が目白押しです(特に後者、ぎえー)。だけど、その中でも本作は特別です。なんというか、僕と非常に重なるんです。どうあがいても自分を認められない主人公が、自分を変えてくれそうな人を見つけて裏切られ、結果的には自分を変えることができた。ネガティブが反転してポジティブになった。幸い僕は男なんで、作中にあるような経験はありません。それでも、読んでいて胸が痛くなります。同じく僕が大好きな萩尾望都もそうなんですが、僕がハマるのは、「『無条件に自分を肯定している敵役』に対する『どうやってもコンプレックスを感じてしまう主人公』」みたいです。ただ、絶対この主人公結婚できないだろうなぁorz