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市井の荒波にもられるアラサーが、無駄に本心をさらけ出します

今度はまとめきれない

 フレームワークの話、色々思いついてしまってまとめきれない。
 とりあえず、フレームワークってのは「他者(人とか社会)から提供された、『こうあるべき』というフレームワーク」と「自分自身で1から構築したフレームワーク」の2種類があって。どっちが良いとかどっちが悪いとかはない。みんながみんな、自分自身のフレームワークで動いていたら、そもそも社会は成り立たないし。それにヘタに「自分のフレームワークとは」なんて悩んで何もしない人よりも、とりあえず行動している人のほうがずっと偉いと思う。「俺って、自分の判断で動く人間だから」って自慢するのは、せいぜい中学二年生までにしてほしい。
 それに、「既存のフレームワーク」と言ったって、様々だ。人間どうやったって個人の色ってのがあるから、同じフレームワークに従っているつもりでも、長年を経て、その人なりの「独自フレームワーク」になってるかもしれない。職人さん、みたいな。
 あと、一見「既存のフレームワーク」に唯々諾々と従っているようでも、その実「あえてそのフレームワークに従う選択をした」のかもしれない。パッと思いつく例が、カミュの「シーシュポスの神話」。岩を持ち上げては転がり落ち、持ち上げては転がり落ち。報われない労働の典型みたいなことをやっていても、本人が「それをやる」と選択しているならば、苦痛でもなんでもない。
 その一方で、世の中には「他人に押し付けられたフレームワーク」では、どうにもならない人たちもいる。彼等は、「有るべきフレームワーク」との齟齬に悩みながらも、自分自身で「フレームワーク」を構築していく必要がある。
 あぁ、書いてみたけどやっぱりまとめきれない。

本日のレビュー「ヒトラーのテーブルトーク」

ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈上〉

ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈上〉

ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈下〉

ヒトラーのテーブル・トーク1941‐1944〈下〉


側近が記録したヒトラーの肉声を、書籍にしたもの。通称「ボルマン覚書」。とにかく、圧倒される。軍事から政治から芸術から食生活まで、しゃべるテーマが幅広い。ここまで、広範なジャンルに対して自分なりの意見を持っているというあたり、良くも悪くも歴史に名を残すような人物だなぁ、と思う。